◆「Identity」 文月 綾 様より頂きました◆
キスをしようよ
四月になったばかりの夜。
ベッドの中で夜空を見上げていた。
実は、今さっき目覚めたばかりで時間は、まだ深夜である。
恋人のてっちゃんと愛を確かめ合った後、眠りについたのだけれど。
浅い眠りの中で夢を見た。
特に夢見の悪いものでは無かったのだけれど、何故か目が覚めると寝付けなくなってしまったのだ。
そして夜空を見上げる今に至る。
(桜って、もう咲いたんかなぁ……)
そんな事を思ったのは、さっき見た夢の所為。
そう、実は夢で見たのは桜だったのだ。
夕暮れに染まる道。
風に吹かれ散る桜。
横にはてっちゃんがいて、柔らかく笑っている。
『 』
其処だけ聞き取れなくて、聞き返そうとしたところで目が覚める。
当然、てっちゃんの言いたかったことも夢の続きも気になった。
其の夢の手がかりにならないかと思い、桜を思ったのだ。
(咲いてたとしても、まだ満開にはなってないやろなぁ)
仰向けに寝ていたのを寝返りをうって左を向く。
すると、程よく筋肉のついた剥き出しの腕が目に入った。
そのまま視線を移動して、てっちゃんの横顔を見る。
安心して眠っているようで、少し幼い印象の寝顔。
何だか愛しくて、そして切なくて。
右腕に口付けて痕を残した。
自分はよく失くしたものを愛しく思ってしまう。
手の中にある時だって大切だと思ってはいるけれど。
でも失ってから更に強く求めてしまう癖があるから。
――てっちゃんも何時かは……。
そんな事を想像して泣けてきてしまった。
次から次へと涙は流れ、シーツに染みを作る。
声は押し殺したつもりだったけれど、横に寝ていたてっちゃんを起こしてしまった。
「hyde……どうしたん……?」
そう声が聞こえて、包まれる感触。
「怖い夢でも見たん?」
怖い――確かに怖いよ。
てっちゃんを失うなんて譬え夢でも怖いよ。
もしさっき見た桜の夢の続きが、てっちゃんを失うものだとしたら――。
「hyde、泣かんで?大丈夫、夢は夢やから」
うん、そう。
てっちゃんは居なくなったりしない。
大丈夫だよね。
信じてるよ。
×××××
いつか世界が終わるとしても。
今日は、てっちゃんがソロの仕事で居ない。
二人で暮らし始めて其れに慣れてしまった今、一人は少し寂しい。
でも子供じゃないから「行かないで」なんて言えない事は分かってる。
だから家事をしながら帰りを待つのだ。
朝食の後片付け、掃除、洗濯――そんなこと。
其れも済むと、何となく眠くなったのでソファでうたた寝してしまった。
ふっと意識が浮上する。
ぼーっとした頭で窓の方を見ると、何時の間にか外は夕暮れを迎えようとしていた。
「あっ、買い物行かな!」
慌てて起き上がり、財布と携帯を持つと、帽子を被り家を出た。
夕食の材料と其の他諸々を買って店を出て歩き始めた。
するとタイミング良く携帯が鳴った。
着信表示は『てっちゃん』。
「何?」
『奥さん、20歩ほど後ろに進んで下さい』
「20歩、後ろに?」
何の事だろうと思いつつ、言われた通り、進行方向と逆を向いて歩いた。
『じゃあ、右向いて?』
携帯から聞こえる声の通りに右を向く。
其処は右方向に伸びる道路なんだけれど、其れだけじゃなくて。
――携帯片手に車の横に立って微笑む旦那様が居た。
「てっちゃん……!」
俺は嬉しくて、気付いたら駆け出していた。
そして、てっちゃんの胸に飛び込む。
そんな俺をしっかりと受け止めて、きつく抱き締めてくれる。
其の感触が寂しかった所為か余計に嬉しく感じて。
顔が緩んで、嬉しい気持ちが問う声に出た。
「何でこんなトコに居るの?」
「ん?可愛い奥さんとデートでもしようかと思って」
「……嬉しいっ」
俺は余りの嬉しさに周りが見えてなくて、てっちゃんの頬にキスをした。
「ちょっ、奥さん。こんな路上で……」
うろたえるてっちゃんにハタ、と我に返る俺。
「あ……」
「取り敢えず、車乗って」
「う、うん」
てっちゃんの言う通り取り敢えず車に乗る。
買い物した品物は、てっちゃんの手で後部座席に置かれた。
そして、てっちゃんが運転席に乗ると車は発進した。
「デートって何処行くん?」
「着いてからのお楽しみ」
「ふーん」
何の気なしに相槌を打った振りをして、実はドキドキしていた。
何だか今日のてっちゃんは何時もよりも格好良く感じられて。
初めて恋をした少女のように時めいているのが分かった。
景色はやがて、自然が多くなっていく。
何処へ行くのか全然予想はつかなかったけれど、あるものが目に入った。
雪のような、けれどもっと暖かい気持ちがするもの。
春を象徴する国花。
「桜?」
「ああ。此処にhydeと来たかったんや」
てっちゃんは道の端に車を止めた。
そして素早く運転席を降りると、反対側に周り助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ、姫」
「てっちゃん……格好良い」
「俺は何時だって格好ええやろ?」
「今日は特に」
「それはどうも」
車を降りると、てっちゃんと並んで歩く。
其処は桜が満開の並木道だった。
夕暮れの中で風に吹かれ、雪の様に桜が降っている。
「綺麗やろ?」
「うん……でも何で此の時期にこんな……」
最後まで言わなくても、ちゃんとてっちゃんに通じた。
「俺もよくは知らないんやけど、品種的に早咲きの桜みたいやで」
「へー、そうなんや……」
夕日に照らされて、歩く二人の影法師が見えた。
其の時、ふと、ある記憶が甦ってきた。
夕暮れに染まる道。
風に吹かれ散る桜。
横にはてっちゃんがいて、柔らかく笑っている。
此れは、あの日に見た夢そのものだ。
全く同じ、あの日の光景が此処に在る。
此れは正夢?
じゃあ、もし見れなかった夢の続きがてっちゃんとの別離だったら……?
――やだ、そんなのやだ。
嫌な気持ちが胸に溢れてる。
そして遂には歩みも止まってしまった。
其れに気付いたてっちゃんも止まる。
俺は不安な気持ちのまま、俯いていた顔を上げた。
すると優しいてっちゃんの笑顔が見える。
――ねぇ、あの時、貴方は何て言ったの?そして、今、何て言うつもりなの?
不安に揺れる心のまま、てっちゃんの言葉を待った。
「なぁ」
声が出なくて目で先を促す。
すると、出てきた言葉は――。
「キスしよう」
言うが早いか、顔が近づく。
そして、腕が腰に回って唇が触れ合った。
触れるだけのキス。
けれど、其れが却って神聖な感じがした。
顔が離れると、てっちゃんの笑顔が見える。
一方、俺は安堵感から涙が溢れてきた。
「は、hyde?」
当然、戸惑うてっちゃん。
俺は一つ呼吸をして言葉を紡いだ。
「――てっちゃん」
「うん、何?」
「何時か世界が終わるとしても……一緒に居ようね」
一瞬、呆けてから、てっちゃんはまた柔らかく笑ってくれた。
「ああ、最期まで一緒に居ような」
其の言葉を誓いとするかのように、もう一度キスをした。
てっちゃんは気付いてなかったと思うけど。
夕闇に染まる中で、俺の頬は赤かった。
其れは嬉しいと同時に照れも含まれてたから。
さっきのは自分でも恥ずかしい科白だと感じていたのだ。
今は大好きな貴方と二人で、大好きな時間は猛スピードで過ぎていくけれど。
その最後の瞬間まで、一緒に。
ねぇ、キスをしようよ。
end.
◆COMMENT◆
文月綾 様のサイト『Identity』様でフリーになっていた小説を戴いて参りました。
旦那ーーー!!旦那がえらい格好良いです。
文月さんの書くテツハイは、テツ兄が格好良くて大好きです(^^*
全体の情景も凄く綺麗で、切なさも醸し出してて最終的には甘くて。
まさに私の大好きなお話です!
なのでついつい貰ってきてしまいました(^^*
文月さん、お持ち帰り許可本当に有難うございました!
2005.04.18
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